
安政3年(1856年)、一漁夫によって茅沼の山中で「燃える石」石炭が発見され、慶応3年(1867年)には、英国技師のガールを招き日本最初の鉄のレールを敷き、大量の石炭を貨車に載せて港まで出炭する方法が採られる等、いち早く外国の先進技術を取り入れ、石炭採掘を遂げた茅沼炭鉱は本道最古の炭鉱として、百有余年北海道開発の重要エネルギー資源として貢献し、泊村の発展のみならず、広く北海道の発展に大きな役割を果たしました。

その後、その茅沼炭鉱も国のエネルギー政策によって昭和39年に閉山になり、108年の歴史を閉じ、地域開発と暖房炭確保のため引き続きできた泊炭鉱も昭和44年に閉山となり、泊村から文字どおり炭鉱の灯が消えてしまいました。
現在の泊村の人口は約1,950人ですが、炭鉱で栄えた頃は約1万人が泊村に住み、その約半数が炭鉱のあった茅沼地区の人たちだったといわれています。

茅沼地区の奧に、かつての炭鉱のズリ山が今も残り、当時の様子を伝えています。